第13話「歌謡と舞楽」
ゼミの活動

#白川静 #文字講話 第13話「歌謡と舞楽」特別上映会 2018年10月20日(土)白川静記念東洋文字文化研究所


漢字研究で独自の世界を開拓された故・白川静博士が1990年から2004年にわたって行われた連続講演「文字講話」の記録映像の上映会が、立命館大学衣笠キャンパス平井喜一郎記念図書館で毎月開催されています。

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白川静記念東洋文字文化研究所 白川静博士没後十年企画

文字講話 特別上映会

第13話「歌謡と舞楽」

2018年10月20日(土)

第13話「歌謡と舞楽」(2002年4月14日於国立京都国際会館)は、芸能史ということではなく、歌や舞に関する文字がどのようにして生まれたかについて、文字講話の中でも「文字は人間が神と交通するために生まれた」という白川氏の思想の中心にあるようなものが最も分かりやすく語られた回ではないかと思います。

「うた」という言葉の語源を「打つ」「や「内」に求めるのが一般的な考え方であるのに対して、松岡静雄(柳田國男の弟)の「『う』は歓喜を凝縮した語で、『つ』はそれが表現されたところのもので『た』はそれが定点として与えられた場所であるから、『うた』というのは歓喜の象徴である」という面白い説(※1)を引用されたところから始まる、歌と舞による神と人との一体化について白川氏の考えを述べられた講演です。

※1:国立国会図書館デジタルライブラリー「日本古語大辞典」(松岡静雄編 昭和4年)の140ページに「うた」についての記載あり。

講演の中で、歌という字の一番もとは「可」で、祝詞(のりと)を入れた器(サイ)と祈りに使う木の枝であると説明されています。
「可」は「〜すべし」という意味もあり、場合によっていは「許可」の意味にもなり、また「可」に口篇をつけると「呵る(叱る)」となるので、むしろ神に強要するようにねだり、聞いてもらえなければ可を重ねて節をつけて「歌」となる、ということで、人に対して歌うのではなく、神に対して歌い願うものだという説です。

第13話「歌謡と舞楽」

本当に遊ぶことのできるのは神だけである。人が遊ぶ時は、神とともに遊ぶ。祭りという儀礼を通じて、神と一体になって遊ぶ。神と一体になったときだけ、人間は遊ぶことができる。だから歌と舞を統一したものが、遊びである。文字講話 III (平凡社ライブラリー) 白川静 (著) p.129

講演の最後に梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の聲(こえ)聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」(梁塵秘抄359)を詠まれ、「我も神ぞや、汝も神ぞや」と神と人が一体化する東洋のまつりは、神とともに遊ぶ、遊びの究極のあり方ではないか、という結びが印象的でした。

次回予定

白川静記念東洋文字文化研究所 白川静博士没後十年企画

文字講話 特別上映会

第14話「人の一生」

2018年11月24日(土)11時

第15話「思想について」

2018年12月22日(土)11時

会場:立命館大学衣笠キャンパス平井喜一郎記念図書館カンファレンスルーム
定員80名入場無料・事前申込不要
〒603-8577 京都府京都市北区等持院北町56-1(→GoogleMaps
リンク→立命館大学衣笠キャンパス交通アクセス

人物紹介
白川静(1910〜2006)福井県出身。漢文学者・東洋学者。立命館大学名誉教授。2004年文化勲章受賞。立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所名誉所長。特に「口」の形を持った漢字を「くち」と解釈するのではなく、白川静が「サイ」と名付けた「神事に用いる祝詞(のりと)を入れた器」を象徴したものとして文字を読み解いた研究が有名です。
この「サイ」の形は白川静記念東洋文字文化研究所のマークにもなっています。
以下、東洋文字文化研究所HPより引用)
白川静は日本と中国とが東アジア地域において文化的類型性をもつという広い視野に立ち、中国最古の文字資料である殷・周の甲骨文や金文に対して体系的な研究を行い、中国および日本の古代文化について独創的な研究を築き上げた。その学説は世に「白川文字学」と称され、内外の学界から高い評価を得た。数万片の甲骨資料をすべてトレースして書き写すという、余人にはなしがたい基礎作業を通して、漢字の原義を字形学的に体系化、甲骨文字や金文といった草創期の漢字の成り立ちにおける宗教的、呪術的背景を字形分析から明らかにした。